資本主義の世の中においてお金はほぼ万能だ。
お金がなくて困ることはたくさんあるが、お金があって困ることはそう多くない。たいがいのことはお金が解決してくれるだろう。
ときどき「お金があったってたいしこことないよ」という人もいるけれど、そういう人は大概金持ちで、東大卒の人が「大学なんて意味ないよ」って言うぐらい説得力がない。
人を幸福にも不幸にもするお金とは実に不思議な概念だ。
前々から思っているのだけど、紙幣か硬貨がなくなって、世の中が全て電子マネーになったら物々交換の時代に戻るのと同じことじゃないだろうか?生産して、労働して、売って、買って、の全てのやり取りが電子上の数字のやり取りだけとなった場合、お金というものがますますわからなくなる。
銀行によってお金はお金を生むことになった、と思っているのだが、本来は「生産したら獲ったり採ったり捕ったりしたものがお金になる」と思う。つきつめて考えるとお金を生んでいるのは太陽なのではないか、と思っている。植物やプランクトンを生むのは太陽光のおかげ。それらを食べる動物や魚。太陽光と水と空気で育てる作物。人はそれらをとってお金に替えている。つまり第一次産業の源は自然であり、その根本は太陽だからだ。なので太陽が生むお金は有限である。実体経済の枠の中なのである程度の金持ちが生まれてくると思うが、極端なのは出てこないと思う。
銀行も太陽と関係のないところで生まれるお金もある。才能にお金を払う、というときである。端的に言えば芸術だ。絵、音楽、本、芸、これらを生み出す人やモノに対してお金を払う。場合によっては原価の数千倍のお金になる場合もある。プロスポーツは語弊はあるかも知れないが芸のうちにはいると思う。こういうものにお金(価値)が生まれてくるともはや実体経済ではなく資産経済だ。
資産経済のせいで人はお金によって幸福にも不幸にもなるんではないか?そのぶん、発展もしてきたと思うけれど、人が増え、自然を破壊し、不幸な人を量産している資産経済は見直したほうが良いような気がする。