昔からぼんやり考えていて、今となっては自分の中では確信していることがある。
それは、「人は自分が死んだことを自覚できない」ということだ。
例えば、交通事故に遭い大怪我をして病院に担ぎ込まれたとしょう。なんとか一命をとりとめて事故から三日後、意識を取り戻したとする。本人にとっては事故からの記憶がなく一命をとりとめ目が覚めたから自分が生きている、と自覚する。
目が覚めたから生きていた、とわかるわけだが、逆に目が覚めなければ死んでいた、ということになる。目が覚めない限りなにも自覚できるはずがない(死んでしまえば目覚めることがないので何も自覚はできないはずだ)。
「死ぬ」とか考えるのに抵抗があるのだとしたら「寝る」に置き換えてもよい。人は毎晩、自分が「いま寝た!」と自覚しているだろうか?自分の経験から言って間違いなく自覚はしていない。朝、眠りから覚めた時に『寝てた』と自覚するだけだ。もちろん『あ~、眠いなぁ、もう眠れそう』ならしょっちゅうある。しかし「いま寝た!」はない。ちなみに夢も夢と自覚するのも目が覚めたからである。寝ている時に「これは夢だ」と自覚することは、なかなかない。
つまり、死ぬことは寝ることと似ているのではないか?と思うのだ。
寝る瞬間さえ自覚できないに、死ぬ瞬間も自覚できるとは思えない。なかには『あ、俺死んだ』と思うことに出くわすこともあるかも知れないが、その後気を失って大怪我しながらも目が覚める、といこともあるし、大怪我してやっぱり死んでしまった、ということになってるかも知れない。
歳を取り(100歳近い)、夜いつもの様に布団に入ったら朝死んでいた、なんてことになるとますます寝ることと死ぬことは一緒だ。違いは「起きなかった」だけになる。
で、何を言いたいかと言うと、
「死ぬって結構あやふや、生きているも結構あやふや」
なので、死ぬとは!?生きるとは!?人が生きている意味とは!?とか深く考える必要ってあまりないのかも知れないなぁ、と言うこと。私が理想とする生き方ってフォレスト・ガンプなのだ。深く考えずその時興味を持ったものにがむしゃらに取り組む。それがシンプルで幸せな生き方なんじゃないか、と思っている。