なんか、ふと思ったんです。
死刑制度がなくなるような社会にならないとブラック企業はなくならないんじゃないか、と。
どういうことかと言いますと、こういうロジックです。
- ブラック企業で死ぬほど働かせられる
- 死ぬほど働くぐらいなら逃げる
- 逃げた先でゆったり生きることにする
- それを知った周りは「逃げたくせにのうのうと生きやがって」と思う
- そう思われるのも辛いから死ぬまで働こうとする
- ブラック企業は存続する
- 結果、死ぬまで働いていしまう(過労死)
- すると周りは「逃げればいいのに」という
日本人、と一括にしてしまうのも強引かも知れませんが、上記の4と8って多くの日本人がこのようなこと思いませんでしょうか?
三浦春馬さんの死。多くの人が悲しみ、今も悲しんでいると思います。このニュースを知った際には『死ぬほど辛いことがあるなら逃げても良かったのに』と思いませんでしたか?次に小倉優香さんのラジオ生放送中の「辞めさせてください!」発言。このニュースを知ったときには『仕事をなんだと思ってるんだ!』という声が多かったと思います。これで逃げた先でも悠々自適な生活をしていたら腹が立ちませんか?もし仮に三浦春馬さんがいきなり仕事場に来なくなった、とか海外に行ってしまった、とかして仕事も何もかも捨てて、のうのうと生きていたら周りは許したでしょうか?多分、許しはしないでしょう。
つまり、日本人て誰であれ【死んだら許す】のです。死ねば仏になる、と考えるのが日本の文化です。死んだ人に対しては仏様のように扱う。死んだ人に対して鞭を打つような事はしません(古代中国は墓を暴いて死体にすら鞭を打ったらしいですが)。逆にいうと死なないと許しません。本当に命がなくなることまでは望まないとしても社会的な死は躊躇なく望んでいるんではないでしょうか。
そんな中で「これだけは許せない」と強く思うのは「死刑にでもならないと許せない相手がのうのうと生きていること※」ではないでしょうか。死刑制度がなくなると「死刑にでもならないと許せない相手がのうのうと生きていること」という状態が実現します。今のところ日本人はこの状態になることを許容していない。だから死刑制度はなくならないのだ、と思うのです。
もし、この※な状態を許容できるようになれば、たかだか会社(仕事)から逃げた奴がのうのうと生きていることぐらいどうってことないはずです。
であれば、死ぬまで働かせられるような会社から逃げることに抵抗はなくなり、社員のことを考えない会社からは従業員がいなくなり、そんなブラックな会社は潰れる、という社会がようやく実現するんではないか、と思った次第です。